氣絆について



氣絆の想い

About

氣絆の想い

たくさんの方から、
なぜフランス料理ではなく、
ラーメン屋だったのか?

と聞かれます。
それは、私の尊敬する人から 言われた衝撃的な一言でした。
「人と一緒の事をしてもダメ。」
「普通のことをやっていてはダメ。」
「ビックリすること、驚くことをしないとダメ。」
「経験者がフランス料理店をやっても誰もビックリしない。」
「少しくらい美味しくてもビックリはしない」
この言葉を頂いた時に、辿りついたのがラーメン屋でした。
しかも
今までにない、どこにもない、どこでも食べたことがないラーメン
は創り出せないかと思いました。
私を含め“麺や一途”のスタッフは、ラーメン店で働いた経験がありません。フレンチのスープは熟知していましたが、どうやってラーメンスープをとって味を決めるのかもわからないままスタートしました。
株式会社を設立するに至って名前は非常に大事です。気持ちのいい仲間と“絆”を結んで成長していける事。
そして仲間達と、これから仲間になる人達と共に、
“絆”を大切にして歩んでいきたい
と願っています。
これが、弊社「株式会社氣絆」の社名の由来です。 
株式会社氣絆 代表取締役
フード・コンダクター
仲田 一途

 

氣絆
氣絆
氣絆

Career

仲田一途の経歴

仲田一途
1963年

茨城県生まれ

1981年

地元の工業高校を卒業後、大阪・あべの辻調理師専門学校で学び、卒業後、鎌倉の老舗レストラン「メイン」にてサービスを含め見習いコックとしてスタート。

1983年

神奈川県三崎市の洋食レストランで、サービスの経験・コックとしての基礎をオーナーから、マンツーマンで学ぶ。

1985年

フランス料理の名店「マキシム・ド・パリ」にて10年間フランス料理とは何たるかを学び、フランス料理のコンクールにも出場。

1995年

鎌倉市大船のフレンチレストラン「ドゥミ」にて支配人兼シェフとして経営に携わり、お客様への接客と考え方を学ぶ。

1997年

ホテルを併設した日本初の総合結婚式場「目黒雅叙園」に一般社員として入社し、婚礼を含めた大きな宴会の料理を経験し、レストランとの違いを見て驚きを感じる。

2001年

西洋料理部門の総料理長に就任し、フレンチの婚礼料理・パーティー料理・バイキングレストランの立ち上げ行いながら、レストランでのフェアに合わせた各国の料理を学ぶ。

2013年

株式会社目黒雅叙園を退社し、「株式会社氣絆」を設立。品川区の武蔵小山にラーメン店“麺や一途”を開店。

2017年

2号店KIZUNA(洗足店)を開店

2020年3月

豊洲店に移転の為、KIZUNAを閉店

屋号を導SHIRUBEに変更し、ららぽーと豊洲3にて新たなスタートをします

Member

メンバー紹介

「麺や一途」の仲田一途です。メニューの名前が変だとよく言われます。メニューの名前は、スタッフを含めたフャミリーの名前です。覚えていただけると光栄です。よろしくお願いいたします。
ららぽーと豊洲店「麺や一途 導」
料理長 菊地陽介(きくちようすけ)
岩手県の高校を卒業後、都内ホテルで料理人としてスタートしフランス料理を学び、その後老舗の洋食レストランで勤務後、豊洲店オープンに伴いまして、料理長として帰ってきてくれました。
ラーメン店は未経験ですが今まで培った来た料理経験を活かして責任感を持って仕事しております。
ららぽーと豊洲店「麺や一途 導」
店長 渡邉幸司(わたなべこうじ)
大学卒業後企業に勤め、その後パティシェを志しホテルで勤務後、強い誘いを受け2015年に「麺や一途」に加わったフアミリーです。
物腰が柔らかくたよりになる存在です。決して嫌とは言わずに黙々と仕事を進めています。
武蔵小山「麺や一途本店」
責任者(常務取締役)西川卓哉(にしかわたくや)
都内の有名結婚式場で宴会料理長・ハウスウエディング料理長として勤務後、2013年「麺や一途」開店と共に会社を立ち上げてくれている右腕です。
株式会社氣絆の常務取締役として前に進む途を模索しております。
顔は怖いですが気軽に話しかけて下さい。よろしくお願いいたします。
武蔵小山「麺や一途本店」
統括料理長 巖谷大輔(いわやだいすけ)
プリンスホテルに20年間勤務後、目黒の総合結婚式場に料理長として迎えられた後、縁がありまして、2017年洗足店「麺や一途Kizuna」の店長として来てくれました。ららぽーと豊洲店オープンに伴いまして、閉店してしまいましたが、今は武蔵小山本店の料理長として、そして株式会社氣絆の執行役員であり、全体の総料理長としていろいろ思案しています。